光泉寺で見つけたもの
群馬地域史懇話会の研修会2日目は、
草津温泉を歩いて探検しよう!です
案内してくださったのは、昨日の発表者の
草津町立図書館の中沢孝之氏
まずは、日本三大温泉薬師の一つ光泉寺へ
何といっても、真言宗豊山(ぶざん)派の
このお寺の山号は草津山
湯畑を見下ろす高台にあります

もともとは画像の左手の駐車場にあったとか
右の道をまっすぐ行くとお寺へ

正面が薬師堂
このお寺は江戸期に2度も火災に遭ったとか
再建された薬師堂にご本尊の薬師如来がいらっしゃいます

右手が釈迦堂
焼失せずに現存しています
茅葺屋根が雨に濡れてしっとりとした風情

この燈籠は1対ですが、火災に遭った痕が
よくわかります

燈籠には「安永四年(1775)」とありました
何と江戸期の落書きも残っています
墨書ってスゴイ!

「江戸日本橋呉服三郎兵衛」とか書いてありました
燈籠のそばにもあるある!

これは「入浴逝者之塔」明治33年明治33年(1900)に建立
湯治していて亡くなった人たちの供養塔です
明治33年は、高崎が市制を施行した年

「野島小八郎君之碑」明治43年建立
草津温泉は、温度が熱く、酸性度も強いので、
「時間湯(3分間と時間を決めて入浴)」で
入浴治療をするように指導する
熱の湯の湯長を務めた人の顕彰碑ですね
熱の湯は、以前は共同浴場でしたが、
今は湯もみショーなどをしています
そのほかにも、
仏教哲学者で東洋大学の創設者である井上圓了揮毫による
「行基開湯壱千弐百年記念之塔」
吉野秀雄の歌碑などなど、見どころがたくさん!

山門から見ると湯畑がずうっと下に見えます
実際はもっと急な石段ですよ
ここが参道ですね
草津温泉の地形はすり鉢状になっているとか
ホント、歩くとよくわかります
さて次は、石段を下りて湯畑方面へ行きます
草津温泉を歩いて探検しよう!です
案内してくださったのは、昨日の発表者の
草津町立図書館の中沢孝之氏
まずは、日本三大温泉薬師の一つ光泉寺へ
何といっても、真言宗豊山(ぶざん)派の
このお寺の山号は草津山
湯畑を見下ろす高台にあります

もともとは画像の左手の駐車場にあったとか
右の道をまっすぐ行くとお寺へ

正面が薬師堂
このお寺は江戸期に2度も火災に遭ったとか
再建された薬師堂にご本尊の薬師如来がいらっしゃいます

右手が釈迦堂
焼失せずに現存しています
茅葺屋根が雨に濡れてしっとりとした風情

この燈籠は1対ですが、火災に遭った痕が
よくわかります

燈籠には「安永四年(1775)」とありました
何と江戸期の落書きも残っています
墨書ってスゴイ!

「江戸日本橋呉服三郎兵衛」とか書いてありました
燈籠のそばにもあるある!

これは「入浴逝者之塔」明治33年明治33年(1900)に建立
湯治していて亡くなった人たちの供養塔です
明治33年は、高崎が市制を施行した年

「野島小八郎君之碑」明治43年建立
草津温泉は、温度が熱く、酸性度も強いので、
「時間湯(3分間と時間を決めて入浴)」で
入浴治療をするように指導する
熱の湯の湯長を務めた人の顕彰碑ですね
熱の湯は、以前は共同浴場でしたが、
今は湯もみショーなどをしています
そのほかにも、
仏教哲学者で東洋大学の創設者である井上圓了揮毫による
「行基開湯壱千弐百年記念之塔」
吉野秀雄の歌碑などなど、見どころがたくさん!

山門から見ると湯畑がずうっと下に見えます
実際はもっと急な石段ですよ
ここが参道ですね
草津温泉の地形はすり鉢状になっているとか
ホント、歩くとよくわかります
さて次は、石段を下りて湯畑方面へ行きます

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