企画展 Fiora! 花の饗宴
群馬県立近代美術館で開催される企画展
「Fiora! 花の饗宴―ルドゥーテの『美花選』と植物図譜の世界―」
展示期間は、4月29日~6月26日

バラ アネモネ テッセンの花たち

すごーくキレイです

これは、2012年6月に上野の森美術館であった企画展
いそいそと出かけて行きました
もう、バラの絵に埋め尽くされて
香りまで漂ってきそうな展示でした

サロンに飾っているルドゥーテ(もちろんレプリカです)
描かれているのは、ロサ ケンティフォーリア ブラータ(Rosa centifolia Bullata)
1801年ころに作られた品種とか
ケンティフォーリア(センティフォーリア)は
精油、ローズウォータ、そして香水用として
プロバンスなどで栽培されています
ルドゥーテは、18~19世紀フランス革命の頃
マリーアントワネットやナポレオン妃のジョセフィーヌに仕えた画家
こんなにもキレイで、しかも正確に描かれてて
「花のラファエロ」、「バラのレンブラント」と
たたえられるだけありますよね
群馬県立美術館のHPはコチラ
http://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/index.htm
今からとっても楽しみです
「Fiora! 花の饗宴―ルドゥーテの『美花選』と植物図譜の世界―」
展示期間は、4月29日~6月26日

バラ アネモネ テッセンの花たち

すごーくキレイです


いそいそと出かけて行きました
もう、バラの絵に埋め尽くされて
香りまで漂ってきそうな展示でした

サロンに飾っているルドゥーテ(もちろんレプリカです)
描かれているのは、ロサ ケンティフォーリア ブラータ(Rosa centifolia Bullata)
1801年ころに作られた品種とか
ケンティフォーリア(センティフォーリア)は
精油、ローズウォータ、そして香水用として
プロバンスなどで栽培されています
ルドゥーテは、18~19世紀フランス革命の頃
マリーアントワネットやナポレオン妃のジョセフィーヌに仕えた画家
こんなにもキレイで、しかも正確に描かれてて
「花のラファエロ」、「バラのレンブラント」と
たたえられるだけありますよね
群馬県立美術館のHPはコチラ
http://mmag.pref.gunma.jp/exhibition/index.htm
今からとっても楽しみです

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東京 芝の増上寺の管長さんと高崎
東京 芝の増上寺の管長さんは
高崎にゆかりがあるんですって

増上寺 増上寺のHPから
浄土宗大本山増上寺の一番偉い方、トップですね
いわゆる管長(かんちょう)という役職を、法主(ほっす)というそうです
浄土宗大本山増上寺 第88世法主 八木季生(やぎ きしょう)さん
尊称は、台下(だいか 身分の高い人を敬って言う言葉)
お世話になった(なっている)Nさんから教えていただきました
「八木季生台下は、高崎藩士 八木弾右衛門・弾助の子孫」
『新編高崎市史 資料編5』を見てみると
あっ!出てます、出てます


↑八木弾助 安政6年(1859)高崎藩分限帳 新編高崎市史より
「幕末期、八木弾助に3人の息子がいて、
長男は八木義生、次男は八木義信、三男は八木元三郎」


↑八木元三郎 明治3年(1870)高崎藩職員録
「三男元三郎は慶応頃から、高崎藩飛領の銚子詰だった
元三郎は30代の若さで没し、困った奥方は幼児を寺院へ預け、
その子は寺院養子の僧侶となった
この人が、季生台下の父上です」
このお話は、
Nさんが八木季生台下の息子さんで、
一行院現住職の千暁さんのブログに出てたのを発見して、
千暁さんと連絡をとったそうです
でも残念ながら、今そのブログはHPをリニューアルしたせいか存在していません

一行院 一行院のHPから
季生台下は、昭和4年東京生まれ
文京区一行院の住職を務め、浄土宗の役職を歴任し
平成20年11月21日から88世法主に就任され、現在にいたってます
徳川将軍家とのゆかりの深い増上寺
高崎と思わぬつながりがありました
高崎にゆかりがあるんですって

増上寺 増上寺のHPから
浄土宗大本山増上寺の一番偉い方、トップですね
いわゆる管長(かんちょう)という役職を、法主(ほっす)というそうです
浄土宗大本山増上寺 第88世法主 八木季生(やぎ きしょう)さん
尊称は、台下(だいか 身分の高い人を敬って言う言葉)
お世話になった(なっている)Nさんから教えていただきました
「八木季生台下は、高崎藩士 八木弾右衛門・弾助の子孫」
『新編高崎市史 資料編5』を見てみると
あっ!出てます、出てます


↑八木弾助 安政6年(1859)高崎藩分限帳 新編高崎市史より
「幕末期、八木弾助に3人の息子がいて、
長男は八木義生、次男は八木義信、三男は八木元三郎」


↑八木元三郎 明治3年(1870)高崎藩職員録
「三男元三郎は慶応頃から、高崎藩飛領の銚子詰だった
元三郎は30代の若さで没し、困った奥方は幼児を寺院へ預け、
その子は寺院養子の僧侶となった
この人が、季生台下の父上です」
このお話は、
Nさんが八木季生台下の息子さんで、
一行院現住職の千暁さんのブログに出てたのを発見して、
千暁さんと連絡をとったそうです
でも残念ながら、今そのブログはHPをリニューアルしたせいか存在していません

一行院 一行院のHPから
季生台下は、昭和4年東京生まれ
文京区一行院の住職を務め、浄土宗の役職を歴任し
平成20年11月21日から88世法主に就任され、現在にいたってます
徳川将軍家とのゆかりの深い増上寺
高崎と思わぬつながりがありました

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