高崎れれれっ?歴史漫歩 その1 烏天狗とこんぴらさま
高崎市新後閑町(しごかまち)270にある琴平神社は
(国道17号の城南大橋の信号の東隣、琴平神社前の信号入る)
四国は香川県の金比羅(こんぴら)さんから、
高崎藩士の寺田五右衛門宗有が
三日三晩で往復し勧請したと
伝えられています。

社殿に向かって左:吽像 右:阿像
社殿に向かう石段の手前に、
眷属(けんぞく:神様の使い)の
烏天狗の阿吽像(あうんぞう)が建っています。
右側は阿像で、口を開けて
羽団扇(はうちわ)を持っています。
左側は吽像で、口を閉じて
剣を持っています。
ちょっとユーモラスな顔をしていて
親しみを感じます。

神社境内(左の端に、右側の烏天狗が写っています)
琴平神社の縁日は、毎日10日で、
祖母がよくお参りして
植木を買ってきたりしていました。
今月10日は、時間が早かったせいか
まだお店が1軒だけ。
大きな木(市の保存樹木もあります)に
囲まれていて涼しいです。
寺田五右衛門宗有は、「天真流剣法、健脚。
藩を一刀流に統一せし人。」と
『高崎人物志稿』にあります。
また、高崎藩の分限帳(ぶげんちょう)を見ると
寺田家は、中級藩士クラスのようです。
ほかに、7/11付のブログもご覧ください。
この神社は、もともとお稲荷さんだったそうで
社殿の下の洞窟に安置されています。
上の画像で、烏天狗の右側に穴が見えるでしょうか?

石段の右にも入口があって中に入ると

和田稲荷が祀られてます。
高崎で一番古いお稲荷さんだとか。

石段手前左の水屋「盥漱水」(かんそうすい)
盥漱は、手を洗い、口をすすぐこと、
身を清めることでもあります。
後ろを見ると、
「文政八年十月吉日」に寄進されたと分かります。
文政八年は1825年、今から180年以上前ですね。

石段の下から、社殿を見上げると
境内より小高い所にあります。
古墳の上に建っているとか。
もともと琴平宮は江戸藩邸にあり、
維新になってこの地に移したと言われているそうです。

社殿に向かって右側にも石段があり、
登りきったところ(社殿のすぐ右隣、社殿からも行けます)に
宝篋印塔が建っています。

宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)という
お経を納める塔のことで、納めた塔を礼拝すると、
その功徳で、罪が無くなり、苦を免れ、長寿を得るそうです。

左から2行目「高崎家士寺田宗有尊信」が見えるでしょうか?
銘文は、蓮華座の上の基礎部分の
正面から右回りに刻まれていて
「宝篋印陀羅尼経曰(いわく)」から始まり、
左側の後半部から後ろ側にかけて、
「高崎家士寺田宗有尊信、
金毘羅大権現、又
参禅而、奉持斎戒以祈
祷
君家長久家士安全多
年矣遂、営造宝塔一基
‥‥‥
時文化十三丙子年
五月吉日 」とあります。
文化13年は、1816年。
また、台石部分(画像で少し黒く見える)にも
銘文があり、右側から始まり、正面、
左側まで刻まれています。
これには、
この宝篋印塔などが、江戸藩邸から維新の際に
移されたエピソードが、
玄孫(やしゃご:孫の孫、ひ孫の子)の寺田閏三や
藩主のことも含めて語られています。

「明治丗二年五月 社司 高井東一」
文面の最後には、
明治32年5月、
社司(しゃし:神職)の高井東一と、
社総代の清水孫三郎ほか8名、社格代理の新井要、
世話人の悴田平七、書は萩原芳?
石工が相澤小平
と、関係者の名前が彫られています。
明治32年は、1899年ですので、翌年が高崎の市制施行ですね。
高井東一は、高崎神社(旧名:熊野神社)の宮司で、
昭和4年(1929)、えびす講を始めるために、当時の青木市長が
美保神社の分霊の手続きについて問合せ、
交渉にあたったのは高井東一、
そして第1回のえびす講が開催されたのです。

社殿の扁額(へんがく:建物の高い位置にある額で、寺社名などが書かれている)は、
昭和2年に宇喜代(うきよ:ビューホテルの建っている所にあった高級料亭)が
寄進していますし、ほかにも見所がたくさん。
小諸に出かけたことがきっかけで始めた
「高崎れれれっ?歴史漫歩」シリーズ。
まだ、シリーズになってないですね(笑)
参考:
『高崎の散歩道』
『高崎漫歩』
『高崎人物志稿』
『上野国神社明細帳』
『上野国郡村誌』
『上毛及上毛人』
『高崎市史』ほか
Nさんにご教示もいただきました。
(国道17号の城南大橋の信号の東隣、琴平神社前の信号入る)
四国は香川県の金比羅(こんぴら)さんから、
高崎藩士の寺田五右衛門宗有が
三日三晩で往復し勧請したと
伝えられています。


社殿に向かって左:吽像 右:阿像
社殿に向かう石段の手前に、
眷属(けんぞく:神様の使い)の
烏天狗の阿吽像(あうんぞう)が建っています。
右側は阿像で、口を開けて
羽団扇(はうちわ)を持っています。
左側は吽像で、口を閉じて
剣を持っています。
ちょっとユーモラスな顔をしていて
親しみを感じます。

神社境内(左の端に、右側の烏天狗が写っています)
琴平神社の縁日は、毎日10日で、
祖母がよくお参りして
植木を買ってきたりしていました。
今月10日は、時間が早かったせいか
まだお店が1軒だけ。
大きな木(市の保存樹木もあります)に
囲まれていて涼しいです。
寺田五右衛門宗有は、「天真流剣法、健脚。
藩を一刀流に統一せし人。」と
『高崎人物志稿』にあります。
また、高崎藩の分限帳(ぶげんちょう)を見ると
寺田家は、中級藩士クラスのようです。
ほかに、7/11付のブログもご覧ください。
この神社は、もともとお稲荷さんだったそうで
社殿の下の洞窟に安置されています。
上の画像で、烏天狗の右側に穴が見えるでしょうか?

石段の右にも入口があって中に入ると

和田稲荷が祀られてます。
高崎で一番古いお稲荷さんだとか。

石段手前左の水屋「盥漱水」(かんそうすい)
盥漱は、手を洗い、口をすすぐこと、
身を清めることでもあります。
後ろを見ると、
「文政八年十月吉日」に寄進されたと分かります。
文政八年は1825年、今から180年以上前ですね。

石段の下から、社殿を見上げると
境内より小高い所にあります。
古墳の上に建っているとか。
もともと琴平宮は江戸藩邸にあり、
維新になってこの地に移したと言われているそうです。

社殿に向かって右側にも石段があり、
登りきったところ(社殿のすぐ右隣、社殿からも行けます)に
宝篋印塔が建っています。

宝篋印塔は、「宝篋印陀羅尼経」(ほうきょういんだらにきょう)という
お経を納める塔のことで、納めた塔を礼拝すると、
その功徳で、罪が無くなり、苦を免れ、長寿を得るそうです。

左から2行目「高崎家士寺田宗有尊信」が見えるでしょうか?
銘文は、蓮華座の上の基礎部分の
正面から右回りに刻まれていて
「宝篋印陀羅尼経曰(いわく)」から始まり、
左側の後半部から後ろ側にかけて、
「高崎家士寺田宗有尊信、
金毘羅大権現、又
参禅而、奉持斎戒以祈
祷
君家長久家士安全多
年矣遂、営造宝塔一基
‥‥‥
時文化十三丙子年
五月吉日 」とあります。
文化13年は、1816年。
また、台石部分(画像で少し黒く見える)にも
銘文があり、右側から始まり、正面、
左側まで刻まれています。
これには、
この宝篋印塔などが、江戸藩邸から維新の際に
移されたエピソードが、
玄孫(やしゃご:孫の孫、ひ孫の子)の寺田閏三や
藩主のことも含めて語られています。

「明治丗二年五月 社司 高井東一」
文面の最後には、
明治32年5月、
社司(しゃし:神職)の高井東一と、
社総代の清水孫三郎ほか8名、社格代理の新井要、
世話人の悴田平七、書は萩原芳?
石工が相澤小平
と、関係者の名前が彫られています。
明治32年は、1899年ですので、翌年が高崎の市制施行ですね。
高井東一は、高崎神社(旧名:熊野神社)の宮司で、
昭和4年(1929)、えびす講を始めるために、当時の青木市長が
美保神社の分霊の手続きについて問合せ、
交渉にあたったのは高井東一、
そして第1回のえびす講が開催されたのです。

社殿の扁額(へんがく:建物の高い位置にある額で、寺社名などが書かれている)は、
昭和2年に宇喜代(うきよ:ビューホテルの建っている所にあった高級料亭)が
寄進していますし、ほかにも見所がたくさん。
小諸に出かけたことがきっかけで始めた
「高崎れれれっ?歴史漫歩」シリーズ。
まだ、シリーズになってないですね(笑)
参考:
『高崎の散歩道』
『高崎漫歩』
『高崎人物志稿』
『上野国神社明細帳』
『上野国郡村誌』
『上毛及上毛人』
『高崎市史』ほか
Nさんにご教示もいただきました。
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柑橘系の香りの正体は?
庭に出ると、むうっとした空気
その中にいい香りがします
柑橘系の甘い香り


直径5~6cmの大きさになったハッサクの実のそばに
金柑が植えてあります

今年は小さな白い花がたくさん咲いています
こんなに咲いたのを見たのは初めて

いい香りもするし、カワイイ花でしょう
でも、花の蔭にはトゲがたくさん
金柑の種類もいろいろで、
これは多分、マルミキンカン
Fortunella japonica (フォーチュネラ ジャポニカ)
またまたジャポニカです
ジャポニカは、日本の、とか、日本産の、
と言う意味があります
別名:姫橘(ヒメタチバナ)
何でも、
19世紀に中国の船が遭難して漂着した人を助けたお礼に
金柑を貰い、その種が日本で広まるキッカケとなったとか

ミツバチのほかにも
黒くて大きいクマバチ(?)とか
たくさん蜜を吸いに来ています
去年はあまり実がならなかったので
今年は期待大でしょうか

その中にいい香りがします
柑橘系の甘い香り



直径5~6cmの大きさになったハッサクの実のそばに
金柑が植えてあります


今年は小さな白い花がたくさん咲いています
こんなに咲いたのを見たのは初めて


いい香りもするし、カワイイ花でしょう

でも、花の蔭にはトゲがたくさん
金柑の種類もいろいろで、
これは多分、マルミキンカン
Fortunella japonica (フォーチュネラ ジャポニカ)
またまたジャポニカです
ジャポニカは、日本の、とか、日本産の、
と言う意味があります
別名:姫橘(ヒメタチバナ)
何でも、
19世紀に中国の船が遭難して漂着した人を助けたお礼に
金柑を貰い、その種が日本で広まるキッカケとなったとか


ミツバチのほかにも
黒くて大きいクマバチ(?)とか

たくさん蜜を吸いに来ています
去年はあまり実がならなかったので
今年は期待大でしょうか

軽井沢のお菓子屋さん
お友達のKさんからお菓子のプレゼント
軽井沢の arinco kashien ありんこ菓子店の
詰め合せ

サブレ、パウンドケーキ、そしてビスコッティ
お菓子と丁寧に優しく向き合っている
そんな感じの味がします
それぞれオイシかったけど、
中でもビスコッティはイケました
ただ、営業日が少ないそうで、
繁忙期の今月でも、月10日位
これでも多い方です
駐車できるのは、2台のみ
Kさんは、停められなくって
もう1回ぐる~っと廻ってから
やっと停められたそうです
Kさんありがとう

ワイヤーの持ち手もクールでステキ
ホームページはコチラ
http://arincokashiten.com/index.html
ブログの画像もアートしている
ステキなお菓子屋さんです

軽井沢の arinco kashien ありんこ菓子店の
詰め合せ


サブレ、パウンドケーキ、そしてビスコッティ
お菓子と丁寧に優しく向き合っている
そんな感じの味がします

それぞれオイシかったけど、
中でもビスコッティはイケました

ただ、営業日が少ないそうで、
繁忙期の今月でも、月10日位
これでも多い方です

駐車できるのは、2台のみ

Kさんは、停められなくって
もう1回ぐる~っと廻ってから
やっと停められたそうです

Kさんありがとう


ワイヤーの持ち手もクールでステキ

ホームページはコチラ

http://arincokashiten.com/index.html
ブログの画像もアートしている
ステキなお菓子屋さんです

今日の庭(7/27)
毎日暑くて暑くて
毎日の水やりはかかせません
庭のハーブや花達は、どうにか暑さに対抗しようと
一生懸命元気を出しています

百日紅(サルスベリ)

アガパンサス(和名:ムラサキクンシラン)

サフィニア

オレガノ

鋸草(ノコギリソウ)

半夏生(ハンゲショウ)

ヤブコウジ(十両とも)去年の赤い実が残っています

バジル

ハッサク 実が大きくなってきました

小海老草(コエビソウ)

槿

紅輪蒲公英(コウリンタンポポ)
別名:絵筆蒲公英(エフデタンポポ)
もっと早く咲くはずでした

いただいた寄せ植え
インパチェンス(和名:アフリカホウセンカ)
それにゼラニウムが元気です
もうそろそろ終りの花達です

紫陽花 班入りの額紫陽花

桔梗 キンレンカ
ときどき涼しい風が吹くのがうれしいです

毎日の水やりはかかせません

庭のハーブや花達は、どうにか暑さに対抗しようと
一生懸命元気を出しています


百日紅(サルスベリ)

アガパンサス(和名:ムラサキクンシラン)

サフィニア

オレガノ

鋸草(ノコギリソウ)

半夏生(ハンゲショウ)

ヤブコウジ(十両とも)去年の赤い実が残っています

バジル

ハッサク 実が大きくなってきました

小海老草(コエビソウ)

槿

紅輪蒲公英(コウリンタンポポ)
別名:絵筆蒲公英(エフデタンポポ)
もっと早く咲くはずでした

いただいた寄せ植え
インパチェンス(和名:アフリカホウセンカ)
それにゼラニウムが元気です
もうそろそろ終りの花達です



紫陽花 班入りの額紫陽花


桔梗 キンレンカ
ときどき涼しい風が吹くのがうれしいです

懐古神社の石標
懐古神社は、懐古園の旧本丸跡にあります
明治13年(1880)に、小諸藩の旧士族たちが
祀ったとのこと
懐古神社の鳥居の前に
石標が2基建っています

向かって右:小諸城址

向かって左:懐古神社
結構大きな石標です
前に来た時は気づかなかったのですが
神社側(後側)には、小諸藩の境界が
刻まれてました

右を神社側から見ると:従是東小諸領(これより東、小諸領)

左を神社側から見ると:従是西小諸領
説明板には、
こもろりょう きょうかい せきひょう
小諸領境界石標
文化3年(1806)建立
東 追分の原(軽井沢町)
西 笠取峠(立科町)
とありました
ずうっと前、笠取峠に行ったとき
この石標のレプリカが建っていました
コレだったのね
で、何が言いたいのかというと、
徴古館に、刻まれた文字の
原本が展示されていて、
市河米庵(いちかわべいあん)の書でした
石標と同じ大きさでしょうか
とても大きくて立派な字です
市河米庵は、江戸生まれですが、
市河家は、もともと南牧村出身
そう、群馬県の関係者です
幕末の三筆(さんぴつ)として有名な書家
群馬県の江戸期の文人で、
父の寛斎(かんさい)は、漢詩人
群馬県 - 郷土の偉人を見ると
http://www.pref.gunma.jp/07/k09310019.html
スゴい一家ですね

明治13年(1880)に、小諸藩の旧士族たちが
祀ったとのこと

懐古神社の鳥居の前に
石標が2基建っています


向かって右:小諸城址

向かって左:懐古神社
結構大きな石標です
前に来た時は気づかなかったのですが
神社側(後側)には、小諸藩の境界が
刻まれてました


右を神社側から見ると:従是東小諸領(これより東、小諸領)

左を神社側から見ると:従是西小諸領
説明板には、
こもろりょう きょうかい せきひょう
小諸領境界石標
文化3年(1806)建立
東 追分の原(軽井沢町)
西 笠取峠(立科町)
とありました
ずうっと前、笠取峠に行ったとき
この石標のレプリカが建っていました
コレだったのね

で、何が言いたいのかというと、
徴古館に、刻まれた文字の
原本が展示されていて、
市河米庵(いちかわべいあん)の書でした

石標と同じ大きさでしょうか
とても大きくて立派な字です
市河米庵は、江戸生まれですが、
市河家は、もともと南牧村出身
そう、群馬県の関係者です
幕末の三筆(さんぴつ)として有名な書家
群馬県の江戸期の文人で、
父の寛斎(かんさい)は、漢詩人

群馬県 - 郷土の偉人を見ると

http://www.pref.gunma.jp/07/k09310019.html
スゴい一家ですね

7月のお稽古
スゴい暑さの7月です

この暑さの中、お稽古に来てくれるなんて
頭が下がります
簾で少し暗くなり、涼しくした茶室の中で、
お香を聞くのもいいかも、と思い

白檀(びゃくだん)を聞きました
木片が温まると、爽やかな香り
心が自然に、穏やかに、鎮まってきます
学名は、Santalum album (サンタルム・アルブム)
英語の、sanndaleood (サンダルウッド) で
有名ですね
お香のあとは、夏の定番
氷点(こおりだて)をしました

お軸は、「青々翠」(せいせいたるみどり)

花入れは、宗全籠(そうぜんかご)
お花は、水引(みずひき)、桔梗(ききょう)、
小海老草(こえびそう)、インパチェンス(和名はアフリカホウセンカ)
鋸草(のこぎりそう)、半夏生(はんげしょう)、
縞蘆(しまあし)
お菓子は、

主菓子は錦玉(きんぎょく)で、名は涼風
瓢箪の形に緑色は青楓、アズキは清流の中の
小石でしょうか

他の日はくずまんじゅうで、中は、ピオーネ
丸くてツルンとしてて
両方とも冷やしていただくと、とってもおいしいです
さて、おいしいお菓子をいただいたあとに、
夏ならではの氷点(こおりだて)

お道具は、平水指(ひらみずさし)、
義山(ぎやまん、ガラス)の茶碗
⇒月夜野ガラスです
義山の棗、茶巾台(ちゃきんだい)
水と氷を入れた、平水指が涼しさを演出します
千鳥茶巾にたたんだ茶巾を茶碗の中に用意して

普通は茶碗に入れた抹茶をお湯で点てますが
氷水を入れて点てるので、
おいしい水が飲める群馬県ではピッタリですよね
いつもより少し濃い目に点てて出します
お茶を飲む時にお茶碗が冷たくて、手も気持ちいい
口に含むと、冷たくても、お茶の美味しさが感じられます
氷点の後は、
温かいお薄をね
まずはお干菓子を

白の麩焼きせんべいは、滝
それに、和三盆の青楓

滝が見えるでしょうか?

棚は、瓢棚(ひさごだな)、風炉は切り合せの鬼面風炉(きめんぶろ)
棗は、白漆の網干蒔絵(あぼしまきえ)
水指は、染付十角山水水指(そめつけ じっかくさんすい みずさし)
最後は、いつもの通り、
お白湯をいただいて
お釜のお湯は、炭でずっーと沸かしていたので
「お煮えがついて(よく煮え立ったので)おいしいわね」
と、言ったりします


この暑さの中、お稽古に来てくれるなんて
頭が下がります

簾で少し暗くなり、涼しくした茶室の中で、
お香を聞くのもいいかも、と思い


白檀(びゃくだん)を聞きました

木片が温まると、爽やかな香り
心が自然に、穏やかに、鎮まってきます

学名は、Santalum album (サンタルム・アルブム)
英語の、sanndaleood (サンダルウッド) で
有名ですね
お香のあとは、夏の定番
氷点(こおりだて)をしました



お軸は、「青々翠」(せいせいたるみどり)

花入れは、宗全籠(そうぜんかご)
お花は、水引(みずひき)、桔梗(ききょう)、
小海老草(こえびそう)、インパチェンス(和名はアフリカホウセンカ)
鋸草(のこぎりそう)、半夏生(はんげしょう)、
縞蘆(しまあし)
お菓子は、

主菓子は錦玉(きんぎょく)で、名は涼風

瓢箪の形に緑色は青楓、アズキは清流の中の
小石でしょうか

他の日はくずまんじゅうで、中は、ピオーネ

丸くてツルンとしてて
両方とも冷やしていただくと、とってもおいしいです

さて、おいしいお菓子をいただいたあとに、
夏ならではの氷点(こおりだて)

お道具は、平水指(ひらみずさし)、
義山(ぎやまん、ガラス)の茶碗
⇒月夜野ガラスです
義山の棗、茶巾台(ちゃきんだい)
水と氷を入れた、平水指が涼しさを演出します

千鳥茶巾にたたんだ茶巾を茶碗の中に用意して


普通は茶碗に入れた抹茶をお湯で点てますが
氷水を入れて点てるので、
おいしい水が飲める群馬県ではピッタリですよね

いつもより少し濃い目に点てて出します

お茶を飲む時にお茶碗が冷たくて、手も気持ちいい
口に含むと、冷たくても、お茶の美味しさが感じられます

氷点の後は、
温かいお薄をね

まずはお干菓子を

白の麩焼きせんべいは、滝

それに、和三盆の青楓


滝が見えるでしょうか?

棚は、瓢棚(ひさごだな)、風炉は切り合せの鬼面風炉(きめんぶろ)
棗は、白漆の網干蒔絵(あぼしまきえ)
水指は、染付十角山水水指(そめつけ じっかくさんすい みずさし)
最後は、いつもの通り、
お白湯をいただいて

お釜のお湯は、炭でずっーと沸かしていたので
「お煮えがついて(よく煮え立ったので)おいしいわね」
と、言ったりします

懐古園の徴古館
小諸城址の懐古園

徴古館(公益財団法人のホームページより)
懐古園の三の丸門のすぐ左脇に
古文書、鎧、兜、左甚五郎の作と伝えられる
徳川家光像・春日局像など、
小諸城および歴代城主に縁のある資料を
展示している徴古館があります
懐古園についてはコチラ
小諸市のホームページ
http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1264032294131/index.html
前に来た時、気になっていた資料2件
地元関連の資料がありました
館内は撮影禁止なので写真は撮れませんでした
今回はよーく見てみようっと
まず、1件目は、
館内に入って左側のガラスケースの中に
古文書が展示されていて、その中の1点の古文書が
巻子(かんす:書画などを表装して巻物仕立てにしたもの)になっていて、
タイトルが
「一刀流兵法十二ヶ条」
説明には、
一刀流のうち、天真流三羽烏の一人
高崎藩 寺田五右衛門の出したもの
(文化8年(1812)小諸藩に招かれた使い手)
とあります
中を読んでみると
一刀流兵法稽古執心不
浅組数相済、其上勝
利之働依有之、本家初之
書此一巻差出進之候、猶不
疑師伝以切磋琢磨必勝
実可披相叶候、仍而如件
(一から始まって免許皆伝の内容、省略)
伊東一刀齊
(以下、名前省略)
寺田五右衛門 宗有(花押)
文化八辛未年十二月廿六日
寺田五右衛門宗有(てらだごえもん むねあり)については
ウィキペディアにも詳しく載っています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AE%97%E6%9C%89
五右衛門については
エピソードがいろいろあるようですが
とりあえず、興味のあるところを
ちょびっとね
ブログのお題
「歴史漫歩」のきっかけです


徴古館(公益財団法人のホームページより)
懐古園の三の丸門のすぐ左脇に
古文書、鎧、兜、左甚五郎の作と伝えられる
徳川家光像・春日局像など、
小諸城および歴代城主に縁のある資料を
展示している徴古館があります

懐古園についてはコチラ
小諸市のホームページ
http://www.city.komoro.nagano.jp/www/contents/1264032294131/index.html
前に来た時、気になっていた資料2件
地元関連の資料がありました
館内は撮影禁止なので写真は撮れませんでした
今回はよーく見てみようっと

まず、1件目は、
館内に入って左側のガラスケースの中に
古文書が展示されていて、その中の1点の古文書が
巻子(かんす:書画などを表装して巻物仕立てにしたもの)になっていて、
タイトルが
「一刀流兵法十二ヶ条」

説明には、
一刀流のうち、天真流三羽烏の一人
高崎藩 寺田五右衛門の出したもの
(文化8年(1812)小諸藩に招かれた使い手)
とあります
中を読んでみると
一刀流兵法稽古執心不
浅組数相済、其上勝
利之働依有之、本家初之
書此一巻差出進之候、猶不
疑師伝以切磋琢磨必勝
実可披相叶候、仍而如件
(一から始まって免許皆伝の内容、省略)
伊東一刀齊
(以下、名前省略)
寺田五右衛門 宗有(花押)
文化八辛未年十二月廿六日
寺田五右衛門宗有(てらだごえもん むねあり)については
ウィキペディアにも詳しく載っています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E5%AE%97%E6%9C%89
五右衛門については
エピソードがいろいろあるようですが

とりあえず、興味のあるところを
ちょびっとね

ブログのお題
「歴史漫歩」のきっかけです

野沢菜青唐みそ漬
長野県千曲市の漬物屋「木の花屋(このはなや)」

木花開耶姫(このはなさくやひめ)は、春の女神
キレイな屋号です

野沢菜青唐みそ漬
おいしいっ

玉ねぎ丸ごとの味噌漬もイケる~
渋谷東急
新宿伊勢丹
二子玉の東急フードショー
などで、プロモーションをやっています
木の花屋はコチラ
http://www.konohanaya.co.jp/index.php
ランチもやっています
食べてみたいです


木花開耶姫(このはなさくやひめ)は、春の女神

キレイな屋号です

野沢菜青唐みそ漬
おいしいっ


玉ねぎ丸ごとの味噌漬もイケる~

渋谷東急
新宿伊勢丹
二子玉の東急フードショー
などで、プロモーションをやっています
木の花屋はコチラ

http://www.konohanaya.co.jp/index.php
ランチもやっています

食べてみたいです

水明楼
さて、上の駐車場へ
隣には

昔懐かしい丸いポストが生きてます
道路の反対側、中棚荘へ下る道のすぐ脇に

この石段を上がります

水明楼
小諸義塾の塾長、木村熊二の
自宅兼書斎
藤村がココの2階で、千曲川を眺めたとか
内村鑑三もココを訪れたそうです

玄関の脇の鉄の階段を上がると
2階部分になります
傾斜地なので眺めがよかったことでしょう
2階から出入りもできたようです
上を見上げると

書庫の蔵

1階の玄関から囲炉裏が見えます
ココから隣を覗くと

石垣を壁代わりに利用した部屋(?)お台所でしょうか?

1階の玄関から2階へ
1階は天井が低いので、頭をぶつけないように
と、言われていたのに、ぶつけてしまった

2階です
ちょっとステキ

下を見ると、中棚荘が
宿泊客のご到来です

外階段を上がって、2階の裏を廻って
見えているのは2階部分
さっきの駐車場のそばに出ます
次は懐古園です


昔懐かしい丸いポストが生きてます

道路の反対側、中棚荘へ下る道のすぐ脇に

この石段を上がります


水明楼

小諸義塾の塾長、木村熊二の
自宅兼書斎
藤村がココの2階で、千曲川を眺めたとか
内村鑑三もココを訪れたそうです

玄関の脇の鉄の階段を上がると
2階部分になります
傾斜地なので眺めがよかったことでしょう
2階から出入りもできたようです
上を見上げると

書庫の蔵


1階の玄関から囲炉裏が見えます
ココから隣を覗くと


石垣を壁代わりに利用した部屋(?)お台所でしょうか?

1階の玄関から2階へ
1階は天井が低いので、頭をぶつけないように
と、言われていたのに、ぶつけてしまった


2階です
ちょっとステキ


下を見ると、中棚荘が
宿泊客のご到来です

外階段を上がって、2階の裏を廻って
見えているのは2階部分
さっきの駐車場のそばに出ます

次は懐古園です

中棚温泉 その2
女湯入口です

観月の湯 PUBLICBATH とあります

のれんのところから、入ってきました
天井が高くて気持ちがいいです
換気もよく働いてて、ワンルームです

仕切りがありません
手前が脱衣場、右が洗面所
トイレは、さっきののれんのそばに
洗い場の奥が露天風呂へ通じてます
洗い場には、カランの下に大きな松(?)の板が渡されていて
このほどよい高さの板の上に、洗い桶が置けるようになっています
コレってポイント高いです

内湯の中の石臼みたいなところから
お湯が出てきます
とろりとした肌馴染みのいいお湯です
10~4月は、りんごが浮かぶりんご風呂になるそうです

露天風呂

左側が崖になっていて
千曲川の向こう、北アルプスも見渡せます

洗面所
スッキリとキレイです
この日は、貸し切り状態
お湯が熱くないので、ゆっくり浸かってきました
日帰り温泉タイムは
受付11:30~14:00(入浴は15:00頃までOK)
お食事付の日帰りゆったりご休憩プランも
あります(水曜定休)
江戸時代の古民家を移築した、登録有形文化財の別邸はりこし亭が
お食事処
この中棚荘は、藤村の千曲川旅情の詩に
詠われている宿とか
フロントのならびのロビーに藤村の関連書籍が並んでいます
http://www.nakadanasou.com/
お肌がスベスベ
ホントに気持ちがよかった
さて、玄関を出ると

道路の向こうにニワトリが
買っている動物たちが好きなところへ
移動しても、ご飯の頃には戻るとか

石垣の上を見上げたら、瀟洒な建物が
今は、小諸市の所有の水明楼で、
中棚荘が管理を委託していて
上の駐車場から歩いてすぐ、中を自由に見られますよ
ですって
早速行って見ましょう


観月の湯 PUBLICBATH とあります

のれんのところから、入ってきました
天井が高くて気持ちがいいです
換気もよく働いてて、ワンルームです


仕切りがありません
手前が脱衣場、右が洗面所
トイレは、さっきののれんのそばに
洗い場の奥が露天風呂へ通じてます
洗い場には、カランの下に大きな松(?)の板が渡されていて
このほどよい高さの板の上に、洗い桶が置けるようになっています
コレってポイント高いです


内湯の中の石臼みたいなところから
お湯が出てきます
とろりとした肌馴染みのいいお湯です

10~4月は、りんごが浮かぶりんご風呂になるそうです


露天風呂


左側が崖になっていて
千曲川の向こう、北アルプスも見渡せます


洗面所
スッキリとキレイです

この日は、貸し切り状態
お湯が熱くないので、ゆっくり浸かってきました

日帰り温泉タイムは
受付11:30~14:00(入浴は15:00頃までOK)
お食事付の日帰りゆったりご休憩プランも
あります(水曜定休)
江戸時代の古民家を移築した、登録有形文化財の別邸はりこし亭が
お食事処
この中棚荘は、藤村の千曲川旅情の詩に
詠われている宿とか
フロントのならびのロビーに藤村の関連書籍が並んでいます

お肌がスベスベ


さて、玄関を出ると

道路の向こうにニワトリが

買っている動物たちが好きなところへ
移動しても、ご飯の頃には戻るとか

石垣の上を見上げたら、瀟洒な建物が
今は、小諸市の所有の水明楼で、
中棚荘が管理を委託していて
上の駐車場から歩いてすぐ、中を自由に見られますよ
ですって
早速行って見ましょう

中棚温泉 その1
小諸の懐古園のそば
島崎藤村ゆかりの
中棚温泉
中棚荘

最近行った温泉、日帰りでした
スゴ―く気に入って
今度は宿泊で行きたい
何が気に入ったかというと、
キレイ、清潔、老舗らしく落ち着いて
お湯もいいし、施設もいい
何より押付けがましくないところ
スタッフの対応もよいです

ココを降りて行くと

玄関が見えてきます
傾斜面に建っているので、2階です
大きな栗の木の下で
大きな栗の樹の右側の道路を
そのまま降りて行くと駐車場へ
道路の上に見えるのが、
日帰り客専用の温泉に行く廊下というか
屋根付きのペデストリアンデッキみたい
建物の延長です

途中には、こんな蔵が

蔵の飾り
躍動感タップリ

ウサギ
や

ニワトリ
、ヤギ
アイガモ
もトットコ歩いてます
さっきの蔵から、ちょっと上がると
1階の入り口へ
フロントで料金1,000円/1人を払って

いざ、温泉へ
指先の赤丸が現在地
そこから右斜めに書かれているのが
さっきの廊下、そこを道なりに(廊下なりに)
行って、一端外へ出ます

ココから出て坂道を上がると

飲泉できるお休み処があり
ホンの少し石段を上がると

男湯です
樹林の湯 PUBLICBATH
さて、ご婦人風呂は右手へ
島崎藤村ゆかりの
中棚温泉


最近行った温泉、日帰りでした

スゴ―く気に入って
今度は宿泊で行きたい

何が気に入ったかというと、
キレイ、清潔、老舗らしく落ち着いて
お湯もいいし、施設もいい
何より押付けがましくないところ
スタッフの対応もよいです


ココを降りて行くと

玄関が見えてきます
傾斜面に建っているので、2階です
大きな栗の木の下で
大きな栗の樹の右側の道路を
そのまま降りて行くと駐車場へ
道路の上に見えるのが、
日帰り客専用の温泉に行く廊下というか
屋根付きのペデストリアンデッキみたい
建物の延長です

途中には、こんな蔵が

蔵の飾り

躍動感タップリ


ウサギ


ニワトリ


アイガモ

さっきの蔵から、ちょっと上がると

1階の入り口へ
フロントで料金1,000円/1人を払って


いざ、温泉へ

指先の赤丸が現在地

そこから右斜めに書かれているのが
さっきの廊下、そこを道なりに(廊下なりに)
行って、一端外へ出ます

ココから出て坂道を上がると


飲泉できるお休み処があり

ホンの少し石段を上がると

男湯です

樹林の湯 PUBLICBATH
さて、ご婦人風呂は右手へ

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