新治地区巡見 その3 そして須川宿
須川宿へ向かう途中、
「町野久吉」のお墓に寄って行くことになりました
昨日の話題提供「明治維新 三国戦争」に出てきた、
町野久吉は、1858(慶応4)年、三国峠における
会津軍と新政府軍の戦闘で戦死した、弱冠17才の会津藩士でした
国道17号に沿って坂をくだると右側にあるので、
車を左側のトラックステーションに停めて、
国道を横断します

木陰の中に、「三国古戦場略図 戊辰戦と町野久吉少年」

「旧三国街道遊歩道案内図」

「会津藩士白虎隊 町野久吉墓」

裏面に「昭和三十五年六月吉日 町野武馬翁有縁の有志再建之」

「会津白虎隊町野久吉少年由緒記」
しばし三国戦争に思いをはせて須川宿へ
須川宿資料館は、
三国街道の須川宿のほぼ中央、脇本陣の跡地に建てられています

須川宿資料館 門は、本陣の門を復元したもの

展示は、古文書・書画・武具など本陣の資料のほか旧家のたくさんの歴史資料
「御本陣」と書かれた木札のほか、関札もたくさんあり、
宿場町の繁栄を物語っています
また、「巳四月(明治2年) 岩鼻縣」の目安箱についての高札、
「群馬縣御用」の木札など興味深かったです
須川宿から大道峠(だいどうとうげ)方面へ向かい、
奥平温泉 遊神館でお蕎麦の昼食をすませて、散会!
群馬地域史懇話会のみなさん、また来年会いましょう
「町野久吉」のお墓に寄って行くことになりました
昨日の話題提供「明治維新 三国戦争」に出てきた、
町野久吉は、1858(慶応4)年、三国峠における
会津軍と新政府軍の戦闘で戦死した、弱冠17才の会津藩士でした
国道17号に沿って坂をくだると右側にあるので、
車を左側のトラックステーションに停めて、
国道を横断します

木陰の中に、「三国古戦場略図 戊辰戦と町野久吉少年」

「旧三国街道遊歩道案内図」

「会津藩士白虎隊 町野久吉墓」

裏面に「昭和三十五年六月吉日 町野武馬翁有縁の有志再建之」

「会津白虎隊町野久吉少年由緒記」
しばし三国戦争に思いをはせて須川宿へ
須川宿資料館は、
三国街道の須川宿のほぼ中央、脇本陣の跡地に建てられています

須川宿資料館 門は、本陣の門を復元したもの

展示は、古文書・書画・武具など本陣の資料のほか旧家のたくさんの歴史資料
「御本陣」と書かれた木札のほか、関札もたくさんあり、
宿場町の繁栄を物語っています
また、「巳四月(明治2年) 岩鼻縣」の目安箱についての高札、
「群馬縣御用」の木札など興味深かったです
須川宿から大道峠(だいどうとうげ)方面へ向かい、
奥平温泉 遊神館でお蕎麦の昼食をすませて、散会!
群馬地域史懇話会のみなさん、また来年会いましょう

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新治地区巡見 その2 永井宿
ゆっくりと坂道をのぼり
当時旅籠だった重厚な構えをパチリ!
2階が、せりだした「せがい造り」
柱の上部から腕木を出して支えています

↑「大丸屋」↓

せり出した部分に、丸に大! 粋ですね

↑「和泉屋」↓現在は民宿になっています

せり出した部分の彫刻がスゴイ!

坂道をどんどんのぼると

珍しいものがありました
水神様の御幣だそうです

(Google mapから)
↑「本陣」は、「四郎宇右衛門」ではなく「四郎右衛門」です
三国街道は、坂をのぼりあがると鉤の手になっています
左にカクっと曲がった道を行くと17号にぶつかり、
横断して三国峠へと続きます
今は静かな永井宿
当時は旅人の往来で、さぞかし賑わっていたことでしょう
さてこれから、須川宿へと向かいます
当時旅籠だった重厚な構えをパチリ!
2階が、せりだした「せがい造り」
柱の上部から腕木を出して支えています

↑「大丸屋」↓

せり出した部分に、丸に大! 粋ですね

↑「和泉屋」↓現在は民宿になっています

せり出した部分の彫刻がスゴイ!

坂道をどんどんのぼると

珍しいものがありました
水神様の御幣だそうです

(Google mapから)
↑「本陣」は、「四郎宇右衛門」ではなく「四郎右衛門」です
三国街道は、坂をのぼりあがると鉤の手になっています
左にカクっと曲がった道を行くと17号にぶつかり、
横断して三国峠へと続きます
今は静かな永井宿
当時は旅人の往来で、さぞかし賑わっていたことでしょう
さてこれから、須川宿へと向かいます

新治地区巡見 その1 猿ヶ京から永井宿へ
2019年8月18日新治地区の巡見です
コースは、
宮野城空堀 → 猿ヶ京関所資料館 → 永井宿郷土館 → 須川宿資料館

(「まんてん星の湯」のパンフから)
まずは徒歩で、宮野城の空堀・土塁からスタート!

の前に、
湖城閣の敷地内の解説板で宮野城址(猿ヶ京城址)についてレクチャー
解説の出典は、故 山崎 一先生の『群馬県古城塁史の研究』からかも?

「上杉謙信宮野城址 内堀」の看板
古城閣を出てすぐのところにあります

ここは同じく「外堀」
道なりにまっすぐ行くと国道17号
信号を渡るとそこは

猿ヶ京歴史資料館です
現存する役宅の一部をそのまま資料館として公開
女人通行手形をはじめとする武器、鉛、入湯、囚人などの各種通行手形
飛脚の門鑑、江戸期の旅人の持ち物、関守道具など
多数の史資料が所狭しと展示されていました
それから車で移動して、永井宿へ

永井宿郷土館
参勤交代で大名が宿泊する際に、本陣玄関に掲げられた木札「関札(せきふだ)」や、
地元永井十二神社で奉納される獅子頭のほか民俗資料などが
展示されていて、まず目に入るのは

手前の甲冑は、天正10(1582)年三国峠(くぐつが谷)の戦いで
使われたとか 「法師温泉 長寿館蔵」とありました
甲冑の並びには、関札もみえます
三国峠を越えてから最初の宿場町だった永井宿
当時の永井宿をうかがえる家並みが残っているので
界隈を散策
永井宿の本陣は笛木四郎右衛門家でした

町指定史跡 本陣跡は、みなかみ町営バスの停留所「永井宿郷土館入口」が目印

敷地内には、与謝野晶子の歌碑があります
「訪ねたる永井本陣戸を開き明かりを呼べば通う秋風」
その左には、「本陣址」とあります
ここあたりから坂道をのぼると、当時の旅籠だった家並みが見えてきます
コースは、
宮野城空堀 → 猿ヶ京関所資料館 → 永井宿郷土館 → 須川宿資料館

(「まんてん星の湯」のパンフから)
まずは徒歩で、宮野城の空堀・土塁からスタート!

の前に、
湖城閣の敷地内の解説板で宮野城址(猿ヶ京城址)についてレクチャー
解説の出典は、故 山崎 一先生の『群馬県古城塁史の研究』からかも?

「上杉謙信宮野城址 内堀」の看板
古城閣を出てすぐのところにあります

ここは同じく「外堀」
道なりにまっすぐ行くと国道17号
信号を渡るとそこは

猿ヶ京歴史資料館です
現存する役宅の一部をそのまま資料館として公開
女人通行手形をはじめとする武器、鉛、入湯、囚人などの各種通行手形
飛脚の門鑑、江戸期の旅人の持ち物、関守道具など
多数の史資料が所狭しと展示されていました
それから車で移動して、永井宿へ

永井宿郷土館
参勤交代で大名が宿泊する際に、本陣玄関に掲げられた木札「関札(せきふだ)」や、
地元永井十二神社で奉納される獅子頭のほか民俗資料などが
展示されていて、まず目に入るのは

手前の甲冑は、天正10(1582)年三国峠(くぐつが谷)の戦いで
使われたとか 「法師温泉 長寿館蔵」とありました
甲冑の並びには、関札もみえます
三国峠を越えてから最初の宿場町だった永井宿
当時の永井宿をうかがえる家並みが残っているので
界隈を散策
永井宿の本陣は笛木四郎右衛門家でした

町指定史跡 本陣跡は、みなかみ町営バスの停留所「永井宿郷土館入口」が目印

敷地内には、与謝野晶子の歌碑があります
「訪ねたる永井本陣戸を開き明かりを呼べば通う秋風」
その左には、「本陣址」とあります
ここあたりから坂道をのぼると、当時の旅籠だった家並みが見えてきます

第26回群馬地域史懇話会 猿ヶ京温泉
20019(令和元)年8月17日(土)~18日(日)
第26回群馬地域史懇話会の宿泊研修会に行ってきました
今回、世話人の引継ぎもあり、新たなスタートになりました
会場はみなかみ町猿ヶ京温泉「湖城閣」、巡見は新治(にいはる)地区

赤谷湖から望む湖城閣 (湖城閣HPから)
戦国時代の山城「宮野城(みやのじょう)」は
人造湖の赤谷湖に半島状に突き出た台地の上にあります
国道17号から少し入った、関所資料館の反対側)、
上杉謙信がたびたび入城した山城で、
湖城閣はその本郭跡にあり、周辺には空堀と土塁の一部が残っています

湖城閣の女性専用露天風呂 (湖城閣HPから)
夜、なんと!コクワガタ2匹と遭遇しました
温泉のお湯は、露天風呂も大浴場も源泉100%かけ流し
含む石膏食塩泉なのでやわらかくていいお湯でした
さて、今回の出席者は25名
肝心の研修は、話題提供が
「三国街道・猿ヶ京関所・湯島温泉」 岡田 昭二氏
「明治維新 三国戦争」 渋谷 治氏
「三国街道と赤谷の森 赤谷プロジェクト」森内 賀久氏
の3本
江戸期から現在までの多面的な検討発表は
普段ぼーっとしている頭に(笑) いい刺激をいただきました

もちろん発表終了後の懇親会、2次会も遅くまで盛り上がりました
18日の巡見については、次回に
第26回群馬地域史懇話会の宿泊研修会に行ってきました
今回、世話人の引継ぎもあり、新たなスタートになりました
会場はみなかみ町猿ヶ京温泉「湖城閣」、巡見は新治(にいはる)地区

赤谷湖から望む湖城閣 (湖城閣HPから)
戦国時代の山城「宮野城(みやのじょう)」は
人造湖の赤谷湖に半島状に突き出た台地の上にあります
国道17号から少し入った、関所資料館の反対側)、
上杉謙信がたびたび入城した山城で、
湖城閣はその本郭跡にあり、周辺には空堀と土塁の一部が残っています

湖城閣の女性専用露天風呂 (湖城閣HPから)
夜、なんと!コクワガタ2匹と遭遇しました
温泉のお湯は、露天風呂も大浴場も源泉100%かけ流し
含む石膏食塩泉なのでやわらかくていいお湯でした
さて、今回の出席者は25名
肝心の研修は、話題提供が
「三国街道・猿ヶ京関所・湯島温泉」 岡田 昭二氏
「明治維新 三国戦争」 渋谷 治氏
「三国街道と赤谷の森 赤谷プロジェクト」森内 賀久氏
の3本
江戸期から現在までの多面的な検討発表は
普段ぼーっとしている頭に(笑) いい刺激をいただきました

もちろん発表終了後の懇親会、2次会も遅くまで盛り上がりました
18日の巡見については、次回に

巡見inみなかみ町 その4
さて、巡見最後の
県指定史跡の名胡桃(なぐるみ)城址
天正年間(16世紀)、
上野(こうずけ)に勢力を伸ばしてきた真田昌幸が
名胡桃氏の館を攻略し、北条方の沼田城を奪取する際の
前線基地として築城

平成27年に整備されています
般若郭が駐車場になっているので、そこに車を停め
説明をお願いしている渋谷 浩先生と
名胡桃城址案内所で待ち合わせて、いざ!
(渋谷先生も懇話会当初からのメンバーです)

本郭中央に建立された「名胡桃城址之碑」
揮毫は徳富蘇峰、小説家徳富蘆花の兄

ささ郭で沼田城址の方を眺めながら
奥の左から二人目が、世話人代表の石原 征明先生
四人目が、渋谷先生
無事に巡見が終わり、昼食をいただいて解散!
また、来年会いましょう
さあ、今日のお楽しみは、あとひとつ
県指定史跡の名胡桃(なぐるみ)城址
天正年間(16世紀)、
上野(こうずけ)に勢力を伸ばしてきた真田昌幸が
名胡桃氏の館を攻略し、北条方の沼田城を奪取する際の
前線基地として築城

平成27年に整備されています
般若郭が駐車場になっているので、そこに車を停め
説明をお願いしている渋谷 浩先生と
名胡桃城址案内所で待ち合わせて、いざ!
(渋谷先生も懇話会当初からのメンバーです)

本郭中央に建立された「名胡桃城址之碑」
揮毫は徳富蘇峰、小説家徳富蘆花の兄

ささ郭で沼田城址の方を眺めながら
奥の左から二人目が、世話人代表の石原 征明先生
四人目が、渋谷先生
無事に巡見が終わり、昼食をいただいて解散!
また、来年会いましょう
さあ、今日のお楽しみは、あとひとつ
